ビラーンの医療と自立を支える会(HANDS)


植林体験記


天に向かって木を植えた!  今泉誠子

 急峻な斜面を空を見上げるようによじ登り、熱帯の陽が照りつけるなか、マンゴーなどの苗木を植えつける(実際には村の人に穴を開けてもらって植える、という、ロイヤルファミリーのお手植えという感じであったが)。等高線にそって芽を出すフラミンジャは、潅木にまで育てば、がけ崩れを防ぎ茎葉は肥料にできる。そして、このラインに沿ってさまざまな果樹の苗木が植えられた。このロハス山脈に4〜5年たてばフルーツが実り始め、村人の収入に寄与できるだろう。まずは今回の植林地がモデルとなり、他の村々に拡大するだろう。だろう、だろうと言うのは、この試みはようやく始まったばかりだからだ。雨よ降れ、苗木よどうか枯れないで。

サムラングのモデル農場で田植えを
する今泉さん

 熱帯の森林といえば、皆様はどんな光景を想像されるだろうか。私はうっそうと茂るジャングル(密林)しか思い浮
かばないが、今回訪れたミンダナオの山々は丸裸であった。裸の山には草のみが、刷毛でうすく緑に塗ったよう。と
んでもない傾斜地にはコーンの畑が広がり、がけ崩れの痕が生々しく地肌をさらしたまま天まで続くかと思われる場
所すらある。フィリピンは、1900年には全土の70%が森林で緑色に覆われていたが、1999年には18.3%までに減少し
た。そのわけのひとつには、日本などの外国資本により森林が伐採されたことがあげられる(そういえば安い外材が
出回り、日本の木材は販路を失った。さらにそれが日本の森林破壊をも加速した)。加えて、山間に住む貧困にあえ
ぐ人たちが、現金収入につながる木炭を作るために木々を切り倒すということを、こころならずもやっている、という。


スララ国立農業大学の学生と植林
する今泉さん(右)エルクダ村で
山に木がなければ雨水を保持する力が失われ土砂崩れや鉄砲水の原因となり、その被害は悲惨そのものである。そのうえ地下水も減少する結果、湧き水(泉)のもとが枯れる。生命維持に最低限必要な「みず」がなくなるのだ。このように貧困がさらなる貧困を誘引する。
 アフリカやアジアで現在進行している砂漠化については、残念ながら「もはや手遅れ」と、私は悲観的である。しかし、フィリピンには希望がある。これらの植林の努力が実を結べばやがて森は回復するだろう。数10年かかるが。この旅で、その実感を得られたことが何より嬉しかった。ツアー参加者としてお伝えしたいことは山ほどあるが、すべて割愛させていただいた。しかし、同行4人のひととなりに接することが出来たことも、私に充足感を与えてくれるものとなった。ありがとう。

ミンダナオの顔   橋本みずほ

 やっぱりあった、たくさんの喜びが、たくさんの驚きが。ミンダナオに暮らす少数民族のコミュニティには、数え切れない笑いと、キラキラした瞳を持つ子ども達がたくさん待っていた。ホッとした。今回はじめてミンダナオという地に足を踏み入れたけれど、ここにもたくさん幸せがあった。とはいっても、1年生活したマニラや、頻繁に訪れているルソン島北部の村には見られない顔、違いももちろんあった。想像以上のシンプルライフに、ある種のショックで丘の上に立ち尽くしてしまったくらいだ。

 しかし目をつぶれないことは、滞在したラムフゴン村で目にした子ども達のボロボロの服、栄養失調、虫でパンパンに膨れ上がったお腹。サムラングの有機デモ農場で、同世代の女性達とバナナの植林をした際は、彼女たちの農業に関する知識のなさに驚いた。現金収入の無い村の生活は、自給自足をしているとばかり思っていた。聞いてみれば、ハイスクールに通えず

橋本さんとチャリタ先生の
養子のアイシーちゃん
13、14歳で妊娠したそうだ。小学校の卒業とともに子育てに追われたのだろう。17歳で既に3人の母という女性は、
汗をぬぐい、バナナのわけぎに土をかぶせながら言った。「日本では産後に病院行くの?」ここではお産する時にも助
産士などおらず、自らやるしかない。本当にこわい。でもほかに手段は無い。さらに「たくさん問題を抱えているのは、
私達だけだと思っていた」。同い年の2児の母に、驚いた表情でこう言われた。ラムフゴン村では、滞在した家はまる
で出張デイケアになった。子供たちは珍しい訪問者が嬉しくてたまらなかったようだ。真っ暗になって互いの顔が見え
なくなるまで、歌をうたい、ゲームをした。私たちが去ったら遊び相手がいないとしきりにいっていた。新しいもの、こと
に興味津々だった。それでも「自然も最高、家もきれいで、美しい村でしょ。子供がたくさんいて、ほんとうに幸せな

急斜面に立つ
ところでしょ。」と言い切る彼らがうらやましいとさえ思った。「日本?行ってみたいけど、そしたら家でお母さんの手伝いをする人がいなくなるもの。」夜8時ころ家の家事手伝いを終えてから、私のところに遊びにきた8歳の女の子は言った。 

 急な丘での植林作業は、情けないものだった。子供ですら苗木を担いでスイスイと上っていく。私は体重を支えるだけで精一杯。すべるからとサンダルを脱ぎ、扇形に広がった大きな足で丘を登っていく村人は、本当に自然と共存しているんだなと思わされた。
 フィリピンという国で、私はリラックスできる。解放感を感じる。余分なものが無いところで、一時的にでも生活を共にし、生き生きとしている子ども達と遊んでいると、自分も元気になっていく。元々の気持ちを自然と思い出す。私がフィリピンに惹かれ理由。ミンダナオでも見つけた。




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