ビラーンの医療と自立を支える会(HANDS)
子どもたちの未来のためにも、「土地」は絶対渡さない
― CADT(先祖伝来の土地権保証)獲得に向けて動き出たサムラング ―
「これがCMIPディレクターとして最後のメールになります」という書き出しで離任の挨拶メール がCMIPファーディ神父から届いたのは3月5日のことです。 突然のディレクター職解任は、神父の身に危険が迫ったとの上司(修道会管区長)の判断に よるものでした。殺されるかも知れないが、サムラングの土地は絶対渡さないといっていた神 父。しかし、上司の命令は絶対です。副ディレクター・ノノイ神父(ビサヤ人・非先住民族)にあと を託して、翌日には神学校赴任のためあわただしくセブ島に向かいました。それから10日後、 3月14日に新ディレクターのノノイ神父から以下のメールが届きました。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 3月8日、弁護士と相談して、メホラダ氏(以下M氏)によるビラーンの土地所有権主張とVOSは 違法行為とする抗議文書を、再度農地改革省(DAR)に送ることにした。先住民族権利法(IPR A)に基づき、懸案の土地について、ビラーンの先祖伝来の土地権証明(CADT/Certification of Ancestral Domain Title)を取得する準備も進めている。今フィリピン大学の専門家に頼んで 伝統的土地権証明のための調査をしてもらっている。もしもCADTを得ることができれば、M氏 によって政府に売り渡されることはない。外部からの開発の誘いにもノーと言える。ただし、 CADT獲得までの道のりは険しいと思う。敵は政府のお偉方にコネがあるから。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ サムラングでは10年ほど前にも、CADC(Certification of Ancestral Domain Claim。CADTよ り法的拘束力が弱い)獲得に動いたことがありました。オーストラリアの鉱山会社WMCが銅鉱 の試掘を始めようとした頃です。住民の反対や国際世論の圧力その他の理由で、WMCはミン ダナオから撤退しました。 以降、サムラングが土地喪失の脅威に直面することはありませんでした。私たちHANDSも、 安心して、クリニック・研修農場、保育園(デイケアセンター)、小規模植林などのサムラング住民支 援事業を実施してきました。そして今回のM氏の出現です。住民のみならず私たちにとっても 青天の霹靂のできごとでした。 アトモロックへ向かう道すがら立ち寄るサムラングでは、いつもどこからともなく子どもたちが 集まってきて、笑い転げたり勝手に遊び始めます。屈託のない笑顔に疲れを癒されます。たと え教育を受けても、先住民族が町で職を得て経済的に自立するのは大変な社会です。山腹の やせた土地であっても、この子どもたちに糊口を凌ぐことのできる「土地」を残せるように、住民 の闘いを応援したいと思っています ※CADT取得とアグロフォレストリは車の両輪※ CADTを取得しても、収入向上の手段がないと、結局開発業者に土地使用権を売り渡すこと になります。傾斜地農法によるアグロフォレストリー実施こそ山岳部CADT取得地域で最も有 効と考え、実績もあるPFPと協力して、今年度も2件実施予定です。 卒業おめでとう! アトモロック 会員として初めて現地訪問をした2001年、アトモロックの卒業式に出席した。その時の感激 は今年も変わらなかった。澄んだ山の空気の中に響く、ベルトの鈴の音色。多彩な民族衣装を 晴れやかに着た卒業生。 アトモロックでは、男子も女子も、2枚のマロンを折り畳んで、両肩に襷がけにし、鈴のついた ベルトをする。今年の卒業生は、男子5名、女子8名。いつもは、優等や様々な賞は女子がも らうのが、今年は男子が3位までを占め、他の賞もほとんど男子が受賞した。驚いたのは、卒 業予定の女子奨学生が2月に結婚して退学したとのことだった。1ヶ月待って、あるいは、結婚 しても学校へ来て、卒業というのは考えられなかったのか。 ともあれ卒業生は、喜びの笑顔を見せたり、感激の涙を流したり。式後は、祝いの昼食が卒 業生と親とに用意されていた。2001年にはなかったことだ。エルナ先生は出産休暇中で、ディ ダン先生、レスリー先生の2人だけだったが、式進行を滞りなく行い、年々着実に学校運営が 進歩しているのを感じた。 ミアソン 山岳部の公立ハイスクールの卒業式はどのように行われるのかと楽しみにしていたが、到着 は式の終了後。しかし校長先生以下スタッフの方々は歓待して下さり、お祝いの昼食を一緒に 頂いた。 HANDSが奨学生をこの学校に在籍させていることに校長先生が感謝の意を表された。卒業 生は50名で奨学生は12名。奨学生が5分の一以上も占めており、しかも今年は優等で卒業し たのが、奨学生なので、人数の点だけでなく、学校の質を高めているという点でも貢献している のは明らかだ。 寮に行って、再度の昼食後、感謝の集まりがあり、卒業生は一人一人前に出てスピーチをし た。CMIPとHANDSに、そして特に支援者に感謝していると、皆が涙声で語った。 カレッジ奨学生に決定したのは6名。卒業は終わりであり、始まり。これからまたそれぞれの 新しい生活が始まる。
ブラクール
ジュネフェさんの訪問記にもあるように、ブラクールでは民族衣装を着ている人が少ない。 前々からマロンだけは、絶えてほしくないと願っていたので、会員からのブラクールへの卒業祝 い金で卒業生全員にマロンを贈った。 小学校卒業は、14名、ハイスクール8名。新しいマロンを女子はスカートとして、男子は、襷が けにして式に臨んだ。男子にもマロンを贈ったのは、母親か姉妹にあげれば良いと思ったから だが、男子はそのマロンを襷がけにした。前回出席した時は、男子はマロンを着用していなか ったので、ブラクールでは、そういう習慣はないのだと思ったが、持っていないから、していなか ったのだとわかった。 全国トレードフェア(NTF)に参加して メルチ・ウヤサン/COWHED組合長 3月14日から5日間、マニラで、国際貿易見本市センター/CITEM主催、通産省(DTI)後援の NTFが開催され、COWHEDも昨年に続き2度目の出店をしました。これはフィリピンで最も権威 ある産業博覧会です。 期間中のCOWHEDの総売上は40,475 ペソ、そのほかに8,270ペソ分の注文を受けました。展 示スペースも設けられていて、そこにビーズで縁取りしたボレロと新作のバッグを置きました。 うち5点は、その後参加した別のフェアで売れました。 先日、CITEM経由でDTIから刺繍とビーズの縁取りがあるコートの見本がほしいという依頼が ありました。8月のASEAN閣僚会議に出席するフィリピン政府代表団からの要望でした。確か にNTF会場では政府関係者がCOWHED店舗に立ち寄り、製品を手にとってくれました。 今回のNTF参加で最も嬉しかったのは、先住民族のハンディクラフトを扱う団体としてCOWHED がABS-CBNテレビに出演できたことです。インタビューでは、ハンディクラフトの紹介だけでな く、エコツーリズムの町レイクセブ町の宣伝もできました。 一緒に参加したメンバー2人にも良い勉強になりました。他の地域から出展しているブースを 見て、その素材がレイクセブにもあるものと分かり、今後の製品作りに生かせるからです。会 場ではティナラク織りに関する質問がたくさんあったほか、一ヶ月に生産できる量などCOWHED の供給体制の質問も受けました。ティナラク販路拡大の手ごたえを感じました。早々に、需要 に応える生産体制の検討を始めたいと思います。 マニラでCOWHED製品の販売を委託できるパートナーに出会いましたが、正式契約前に適 正な価格設定の勉強をする必要があります。ちょうど4月26、27日にG.サントスでその研修が あるので参加する予定です。 12,000本の苗木を植えました − イオン環境財団助成事業完了 − ラワンなど原生種の苗木8,000本(水源涵養林用)と、数年後から収穫できる果樹苗、ココや し、コーヒー等4,000本が、パグナイ村の計30ヘクタールに植えられました。土留め潅木フラミン ジャも順調に伸びて、間作のピーナッツはすでに2回収穫しました。 助成を受けた3年間で、アグロフォレストリ実施面積は85ヘクタールに達しました。数年後に は、果樹や潅木からなる等高線状の緑の縞模様が見られるはずです。住民も果樹の実りで子 どもを学校に通わせられるようにと手入れに励んでいます。 ※本事業は、PFPがイオン財団から直接助成を受け、HANDSは連絡窓口として協力しました
|